|
|
ここでは、電気製品の安全性確保がどのように行われてきたか、その歴史について簡単にお話ししておきましょう。
日本における電気製品を安全に製造するための制度は、逓信省(現在の経済産業省や総務省の前身)が制定した電気用品試験規則によって始まると言われています。当時、逓信省電気試験所(一般財団法人 電気安全環境研究所などの前身)がその規則に基づき、事業者からの依頼に応じて安全性の試験を行っていました。
その後、大正13年頃から電燈会社(現在の電力会社)による電線や配線器具などの安全性の管理が始まり、昭和10年には逓信省が電気用品取締規則を制定し、電線や配線器具などに加え、家庭用の電熱器具なども含めた電気製品の取り締まりが始まりました。この規則により、製造事業者や輸入事業者は電気試験所で安全性の試験を受けることなどが義務づけられ、承認品にはマークが表示されました。
それから、戦後の復興に合わせ、一般に普及しつつあった冷蔵庫や洗濯機なども取り締まりの対象に加えられましたが、昭和10年に制定された電気用品取締規則では世間の実状に合わない面も多く、不良品が横行することとなったため、危険な粗悪品が消費者の手に渡ることを防ぐために、安全性を確保するための法律として昭和36年に「電気用品取締法」が制定されたわけです。当時の電気用品取締法は、政府が決めた安全基準や製品に表示しなくてはいけない内容について、行政機関が確認するという法律でした。実際には、財団法人 日本電気用品試験所(現在の一般財団法人 電気安全環境研究所。以下「JET」という)らが行政機関の代行機関として安全性の試験を行い、事業者が合格した製品にマーク等を表示するというものでした。
昭和40年代に入ると、電気製品の普及率が上がるとともに、電気による事故が相次ぐようになりました。そのため政府は、電気用品取締法の対象となる製品を増やして対応しましたが、このとき、これまでと同様に政府の許可(型式認可)が必要な「甲種電気用品マーク」と、政府の許可は必要ないが事業者で安全性を確認(自己確認)すればよい「乙種電気用品マーク」の2種類に分類されました。
そして昭和50年代以降も、新しい製品の登場により品目が追加されて行きましたが、昭和60年代以降、技術進歩による安全性の向上、規制緩和などにより、甲種電気用品の中でも危険性が少ない製品については、徐々に乙種電気用品へ移されて行きました。
さらに、平成7年7月には、甲種電気用品に指定されていた家電製品(冷蔵庫、洗濯機、エアコン、テレビ、電子レンジなど)のほとんどが乙種電気用品に移されるとともに、乙種電気用品に表示されていたマークが廃止となり、合わせて、事業者が自己確認した製品の安全性を第三者機関(JET・JQA)が確認する第三者認証制度マークが登場しました。
このように、さまざまな経緯をたどりながら、平成13年4月の法改正で、規制の哲学も事前規制から事後規制に変わり、法律の名称も「電気用品取締法」から「電気用品安全法」に改称されました。また、電気製品の分類名や表示するマークも変わり、原則すべての品目が自己確認となり、このうち従来の甲種電気用品については第三者による技術基準適合性検査を義務づけるものとして、特定電気用品として規定され、甲種電気用品は「特定電気用品マーク」に、乙種電気用品は「特定電気用品以外の電気用品マーク」となり、現在に至ります。
|
|